現代アートがすき。
ぽちぽち興味ある展示が市内ではじまった。
月曜日はおやすみみたいだけど、
ここは見られる!と思い、そわそわして参戦。雨の中、☔️朝早くでかけた。
これを見とけ!と、頭の中で猛烈な声がした。
ちょ、👀!め!目が合ってる!片山真理さんと!!!爆🤣
セルフポートレートって書いてあって電流が走った。
そうだったのか、、、。
このアーティストのかたのInstagramこれね
↓
わたしさいしょさー、有名な写真家のひとが、こういうの撮らせてください、っていうやつとか、共同作業的な作品かとおもったんよ。
そのボディバランスの美しさを作品にする、という、彼女自身をアートとしているものとして。
違うんだよね
このかた、自分でセルフプロデュースして自分で撮られてるの、やばいよ
電流が走った
義足にセルジオ.ロッシのハイヒールを履かせてて
スニーカーだってヒールだってすきに選べるよ、っていう好きなものは好き、きらいなものはきらい、という
オシャレなんだけど、女の子としてのまっすぐな強烈なメッセージ。
自分のからだをみて、片腕もなくて、
もしわたしなら、こんなからだじゃ、、って
撮影したいなんて思わなかったかもしれない
😢
もちろん、ハンディのあるかたが私たち健常者の感動を呼び起こすためにいるのではないということは百も承知の上で、2●時間テレビの感動ポルノなんてだいっきらいで、
それを自分で、こんなかわいく、きれいにメイクして、自分でネイル塗ったんだ、わかる、甘皮のとこちょっとゆがんでるから
この自己肯定力、まっすぐにご自分の、
アタシはこれが好き!やりたい!
に向かっている澱みの無さに、
ただ、
ただ、
大号泣した。
鏡で自分の姿をレッスン中に、全身映すことさえ、
自分のことがキライなときは、直視はむつかしい。
それなのに、
脚も片腕もないのに、この美しさと表現欲求は、いったいどういうことだ。
我々はいったい、彼女にくらべて、
どれだけ自分の事を見ていないんだ。
あなたは、
何に遠慮して、
その表現欲を
せき止めているんだ。
ひとはどんなすがたで産まれたっていつか死ぬことだけはルールじゃないか、
そのあいだに堰き止めておくことになんの価値があるのだろう。
くそう、やられた。
すごい感情の波でもうどうしようもない。
みたいものを、全部自分にみせてあげて、
させてあげる、可愛い愛しい自分に。
それがキモチイイ。
なんて最高なんだ、、、
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