つくるということは、傷をつけること。
なんでこのアーティストは、総じてずっとおなじことを人生で唱え続けているのだろう、
と思うことがある。
カタチを色々変えても、結局奥底で感じているそのひとの本質というのは、どの作品にも
匂わせてくるものがある。
大きな傷があるひとほど、作品がうつくしい彩りで、人の心を打つのはなぜだろう。
戦時中、すごい絵や小説がたくさん産まれた。
コロナ禍、震災後、たくさんわたしも作品を
創った。インスタに動画を1日何本も撮ってあげ、ショーをやったり、豪雨災害後は、作品をごうごうと怒涛のようにつくりまくって仕上げ、ステージで募金を募ったりした。
とにかく。
いてもたってもいられなかった。
どこかで押さえつけられた心を、解放してあげる手段が、わたしの場合はダンスで、芸術だったのかもしれない。
ひとは、そのときどきで、
イマココの自分、
を
無視しつづけたら、
あとあと痛い目にあうようにできている。
トイレにすぐいく。(我慢しすぎると膀胱炎になる
悲しいなら、悲しいとすぐアウトプットして、丁寧に相手につたえる。
眠いのに産後頑張りすぎてやっていたら難聴になったし、
自分のこころからの声を、どこかで、
いや、できたら、
イマココで出してあげるのがいちばんよい。
わたしは、いま、ここにいる。
こう感じている、これはうれしい、
これはせつない、
これはくるしい、いやだからちょっとやめて?と
その場で言えたら戦争なんてない。
そこのココロのバランスをとるために、
傷を無視しないで、
ちいさなさざなみさえも受け止めてあげることが、
だいじなのだな、と思った。
ひとの大きな傷は、、、、できたら表現したほうが
良いのかもしれない。
宮崎アニメで思ったんよな。
なんかドキュメンタリーで、
母の絵を書きながら、なんだ、あのひと、元気じゃないか。よかったんだな。そうか。っていいながら、ポニョのおばあちゃんをサラサラ描いてて、
自分の観たかった母親の元気な姿を、
ずうっとどこかで追いかけてる男の人なんだな、
って思ったの。
それくらい、心理的な母との関係ってひとは濃いんだな、って。
それは、言っちゃえば、
自分は生まれてきてよかったんだよ、
と言って欲しい。
自分が産まれたせいで母は不幸になったのではないか、という脅迫観念が、どこかにあるこどもはつらい。
あれだけの作品を生み出せるほどの、作家本人の、
創(ここでは心の傷
と、孤独を想像すると、背中に水がかかったような気分になる。
、、、なんかまじめに語っちゃったよ。
ストレスは、へこみを産む。
おさえつけられ、やわらかいパンの生地はへこむ。
でも、ブワン!と押し返したいのだ、ほんとは。ね。
それが本来の姿だからさ。
それがその当時押し返せなかったら、
アートで我々はやるしかない。
なんだよな。
さ、今日も踊るか。
深いところに踊りは、ほんとうに、イイぜ?
おまえもおどんな?あん?
💋
良かったら俺んとこ、きな?
笑
NORI
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